「そのモノについて自分は誰かに熱く語れるか?」
四角大輔さんの「自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと 」にある1節。
いつの間にか、大量消費を促す社会になってあっという間に増えていく、モノ。そして、あっという間に捨てられる、、、。
そんな社会だからこそ、自分にとって本当に必要なものを見定めて、それを熱く語れるモノだけにする。
私も少しずつですが、とびっきり大好きなモノだけに揃えていってます…!
情熱を持って語れるモノを揃える
自分が情熱を持って語れるものはいくつあるかなーって考えて、書き出して見ました。こんな感じで☟☟
- スプリーカラーのニット
- マザーハウスのバッグ
- スマホ
- ホルベイン透明水彩
- モレスキンの手帳
- 今使ってる机
- つげ櫛
- ペンケース
これらはほんの1例ですが、”ミニマリストの厳選した持ち物カテゴリー”にあるのは基本熱く語れるモノ。
特に、毎日使うもの=毎日目にするものだから、それらのものは熱く語れるものだけにしたいんですよね。毎日目にするものが、自分が最高に好きで見る度にワクワクするものだったら、少し憂鬱な気分の時も幾分かマシになったりする。それだけでも、自分が情熱を持って熱く語れるモノを揃える意義はある、そう思います。
利便性だけを追求すればいいってものじゃない
やっぱり自分が持つモノは自分が1番好きなものを持っていたいです。
自分の大好きなモノだけに囲まれた部屋にしたいのだから、持ち物すべてを情熱を持って語れるモノだけにしていたい。
「使いやすいから」「とりあえずこれでいいかな」って持ってるモノも、生まれてから今まで生きてる中でいくつかあって、そういう中途半端なモノで妥協はしたくない。
もちろん、使いやすさも大切だけど、それプラス自分が好きかどうかっていうのはすごく大切だと思います〜。
今は進化がすごいスピードで進むから、次々に新商品とか発売されます。それになんでもかんでも目をとらわれていたら、あっという間にモノは増えるし、終始がつかなくなります。
本当に自分に必要なモノから少しずつ
私たちが生きていく上で、必要なモノって実際はそんなにありません。
じゃあなんでたくさんのモノを所有してしまうのかというと、自分の中に、世間体を気にしたり、モノが自分たちを幸せにしてくれるって思い込みがあったり、ストレス発散で衝動買いしたりしてしまうからなのだと思う。
もう少し、自分の中にどしっと軸をかまえて、自分なりの基準で本当に必要なものを考える。そして、自分が「これは絶対必要なもの!」って思うものの中から、少しずつ、情熱を持って熱く語れるモノだけにしていく。自分がなぜそれを選んだのか、何でそれを持っているのか、それが説明できるものが”本当に大好きなモノ”です。
例えば、バッグ。
バッグは当たり前に誰でも持ち歩くものだと思います。
でも、人それぞれでその人にピッタリの”カタチ”は違う。バッグの大きさ・カタチ、、カラー、生地、重量、見た目、、、こだわる所はたくさんあって、人によって好みは違います。その中から、自分にピッタリあったバッグを探してみるんです。
もちろん、そう簡単に自分にピッタリの完璧なモノは見つからない、失敗もする。でも、色々試して「これだ!!」って思うものがあった時の喜びは格別で、使う度に嬉しくなります。
私はそういうプロセスも1つの”楽しみ”で、自分にとっての”完璧なモノ”で持ち物を揃えていきたい。今も、手持ちの持ち物を少しずつ”大好きなモノ”に変えていってます。
本当に、大好きなモノがあれば、人は満足する。
身の回りのモノを少しずつこだわりのあるものにしていきませんか。